自己紹介

ごあいさつ

幼年時代
民謡の宝庫出羽の国、秋田に生まれ、秋田富士(鳥海山)を眺めながら、近くを流れる高瀬川で魚を取ったり春から秋まで山菜を取ったりと言う日々を過ごしていました。少年の頃は、民謡の方が歌謡曲よりもまだ少し多かった時代でした。祭りでなくても、東北民謡などが来ました。先祖が歌舞伎役者でしたので、そうした関係の方や、兄たちの唄や太棹の音に刺激されていました。宿屋の無い小さな集落でしたし、先祖が芸ずきだった事もあり、我が家は旅芸人の宿となる事も少なくなかったようです。後世に名を残した方も多く、歌舞伎界の人や、東北民謡の人々、津軽三味線の大御所と言われた人が神社のお祭りや、地域のイベント等に来ては、よく泊まっては、夜通し芸の話だった、母や親戚の叔父さんから聞かされました。

洋楽器に興味


自分の家には、三味線もあり、秋田民謡の多いなか・・県南地区にしては津軽民謡に興味を持ったのは、やはり先祖が芸好きだった事もあったからでしょう。東京へ来てからは、ギター・アコーディオンを習い、弟のピアノと一緒に、ボランティアをしました。しかし、当時、歌謡曲盛りの頃で、洋楽器のボランティアは沢山いて、歌謡曲は飽きられている位でした。そこで、私たちの口から出tt来るのはと言うと、弟のピアノの弾き語りで、カーメンキャバレロの世界から飛び出した様なアレンジでの『秋田荷方節』蝶よ~ナア~とか・・私はギターの、弾き語りで『田舎なれどもサア~』と歌うと・・洋楽器で民謡を歌ったのが気に入ったのか、兄ちゃん生まれはどこかね~と尋ねられ、秋田だと答えると、私ゃ富山とか、福島だとか・・東京には東京の人しか居ないと思っていたら・・考えてみると自分も地方から来たのに・・ギターで弾く民謡も悪くはないが、やはり、心に沁み込んだ太棹の響きを忘れる事が出来ず・・それから迷わず・楽器は津軽三味線のみと心に決めて、津軽三味線の第一人奏者である、五錦竜二師の本へ通いました。仕事と稽古場の行ったり来たりの日々が続きました・・・。


太 棹へのこだわりを・・・

 

方針・・

仕事帰りに習い事を続けることができる様、教室では楽器を用意している。プロになると言うよりも仕事をしながら、ご自分の友として生涯、三味線を手に友達を増やしては、ボランティアなど地域貢献をする・・。各自思いはいろいろでしょうが、お役にたてたら幸いと思っています・・。